〝ウツ〟への禁句を検証する -禁句は〝ウツ〟を追い詰める-

Mental Disorder
11 /29 2012
 以前〝ウツ〟の患者への禁句というものを取り扱った。当時、筆者が非常に勉強不足であり、患者でありながら、禁句さえ…と軽く考えていた節があった。 

 現在、よりいっそう酷い状況となった家庭不和をきっかけとして、再び大うつ状態に陥った(現在はやや回復)。そして、禁句さえ言わなければ何を言っても構わないという無神経さにかなりまいった。

 前回述べた「『〝ウツ〟なんて、心の風邪でしょ』といかにも〝ウツ〟の全てを知り尽くしたような顔で軽く受け流す」傾向がいかに世間に流布されているかを述べたが、実は、こういった中途半端な知識がどれだけ〝ウツ〟の人を追い詰めるのか、筆者が悟ったことを鑑みながら、禁句について、改めて検証してみたい。

 実際にインターネット上で、「ウツ」「禁句」を検索すると、いろいろと出てくるが、今回のテーマにちょうどいいサイトを見つけた。All Aboutという『気になる話題やニュース』のサイトで「うつ病の人に言ってはいけない言葉」という表題のものである。

 詳細は実際に読んでもらうとして、ここには、事例としての禁句が集められている。
(1)誰でも時には気分が落ち込むもの
  (でも、さすがにどん底はないでしょ)

(2)たいした問題ではない
  (いえ、当事者はかなり深刻です)

(3)世の中にはあなたよりもっと困っている人がいるのよ
  (…募金でもしましょうか?)

(4)いったいどうしちゃったの?
 (さあ、どうしちゃったんでしょうね…)

(5)カラオケにでも行かない?落ち込んだ時はそれが一番!
 (カラオケはあんまり好きくないです)

(6)いつまでもメソメソしないで
 (男だって泣きたい時があるんです)

(7)せっかくあなたの為に作ってあげたのに…
 (あんまりおいしそうじゃないから…つい…残しちゃって)

(8)いい加減にして!
  (自分もいい加減、治りたいです)

(9)私を困らせたいだけなの?
  (いえ、自分も困ってます)

(10)役立たず
  (…そんなこと言われても)

(11)あっちへ行って
  (どこへ?)

(12)だらだらしていないで、何かしたら?
 (引き籠ってブログ作ります)

(13)気合が足りない
  (気合が豊富にある食べ物を教えてください)

(14)頑張って!
 (…まだ頑張らなきゃいけないの)

(15)たまには笑顔を見せて
 (男だって悲しい時があるんです)

(16)元気を出して
  (お通じならいいんですけどね)

*下段にあるカッコ内の文章は筆者の悲痛な心の叫びです。

 このサイトについて、個人的にはあんまり評価するのはどうかと思うのだが、少々物足りなさを感じる。〝ウツ〟とは患者本人にとってみれば、想像以上の苦痛であり、生と死の境界をさまよっていると言っても過言ではないからだ。

 だが、このような事例をならべてしまうと、〝ウツ〟の人には、こういった禁句さえ言わなければいいと考える軽く考えられてしまう。これは筆者も経験した。したり顔で、臨床心理士や心療内科医に友人がいるから〝ウツ〟についても詳しいと、いけしゃあしゃあと、のたまわり、自分の体験を引き合いに出しながら、叱咤激励し、あげく重大な決断を迫った。どうも、彼は、友人に臨床心理士や心療内科医がいるから、自分も詳しくなったと錯覚したらしい。


 少し、自慢っぽい話で申し訳ないが、私には、弁護士、外科医、内科医、産婦人科医、眼科医、精神科医、臨床心理士、一級建築士、デザイナー、舞台女優、中学教師、高校教師、日○航○のパイロットと実に様々な職の友人がいる。これに共に仕事をした仲間を加えるのであれば、あの世界的に有名な安藤忠雄氏も入ってしまう(安藤氏とはいつも建築法と消防法のことで衝突した)。


 だからと言って、私は、法律に詳しくないし、医学的知識は豊富ではないし、中学生や高校生の気持ちがよく分かるわけでもないし、当然、飛行機の操縦もできない。所詮、友人は友人でしかないのだ。それをまあ、したり顔をして、恥ずかしくのだろうか。厚顔無恥を地で行く大馬鹿者である。

 さて、話を元に戻そう。では、「禁句とは一体何なのか」についてだが、所詮は参考事例に過ぎない。「うつ病の人に言ってはいけない言葉」は、読者に分かり易くするために書かれた情報、ただそれだけなのだ。

 もう1つ付け加えよう。〝ウツ〟の人は悪い意味での感受性が強くなっている。だから、禁句を避けようとする周囲の気持ちは、患者本人には、ほぼ確実に伝わる。そして患者は、気を遣わせているという自責の念を強くなってしまう。

 では、どういったことを言ったらいけないのか。筆者は、言葉ではなく、むしろ行動として、どのようなことをしてはいけないのか、ということを考えた方がいいと思う。これは3つある。

(1)叱咤激励をしない。
(2)体験を押し付けない。
(3)重大な決断をさせない。


 一方、さきの「うつ病の人に言ってはいけない言葉」では、禁句として

①.うつを軽視する言葉
②.感情的な言葉
③.励ましの言葉

を挙げているが、実に残念なことに、これらは「叱咤激励をしない」行動に集約されてしまう。だから、当事者としては物足りないと感じるのだ。

 〝ウツ〟の患者が出た場合、周囲はものすごく苦労するハメになる。そのことは、筆者自身も当事者としてよく理解している、が、それがまた患者自身の重荷となり、回復をより遅らせる原因となってしまう。罪悪や焦燥感、自責の念がいっそう強くなり、やがて周囲と全く接触がなくなったり、逃げ場を完全に失ったりする。

 そう考えれば、その場を取り繕う手段としての禁句は「百害あって一利なし」であろう。多少我儘を言わせてもらうのであれば、患者周囲の人は、その点を十分に留意して患者と接して欲しい。

 それが、未だ〝ウツ〟という暗黒の領域にいる筆者からの悲痛な叫びである。

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“ウツ”の責任論について

Mental Disorder
11 /22 2012
 「うつ」と言っても、情報が溢れかえる今の世の中において、厳密な意味での「うつ」という病がどこまで正確に把握されているか、非常に気になることである。

たぶん、「うつ≒大うつ状態」というのが、世の中の認識ではないかな、と筆者は思う。ただ「大うつ状態」を呈する精神疾患は、うつ病だけではない。おおよそ、精神疾患と呼ばれる病には、ほとんど認められるといっても過言ではないだろう。

 そこで、今回は「大うつ状態」となったうつ病(単極性障害)と躁うつ病(双極性障害)に的を絞って議論したいと思う。また、世間一般の呼び方を使うように大うつ状態をここでは、“ウツ”とカタカナで表記していきたい。

 さて、この2種類の精神疾患は、DSM-Ⅳの分類では、気分障害にまとめられている。しかし、この2つは、似て非なる病気である。それは、病前性格や治療法(投薬の種類)が異なるからである。また、発症要因に関しても、若干異なる。まだ、不明確な部分も多いが、うつ病は、おもに下記の2つを発症要因とする。

 ①.外因的要因:家庭環境や職場環境など患者を取り巻く環境のこと
 ②.身体因的要因:脳内の神経伝達物質の分泌異常

 一方、躁うつ病の主な発症原因は下記の3つである。

 ①.外因的要因:家庭環境や職場環境など患者を取り巻く環境のこと
 ②.身体因的要因:脳内の神経伝達物質の分泌異常
 ③.内因的要因:父母や祖父母からの遺伝など

 だが、躁うつ病の発症は、多くがウツから始まるので、初期の病相はほとんど一緒であると言える。ただ、だが、躁うつ病の場合は、ウツから躁状態になった時、周りは治ったと判断してしまう。そして、適切な治療を受けないまま、躁とウツを繰り返していく。だから、40代に気持ちの落ち込みが著しいとばかりに受診してみると、双極性障害の場合は「実は再発でした」というパターンも結構ある。

 話が横道にそれた。では、ウツの再発でもいいし、発症でもいいが、ともかく心療内科や精神科に受診するとなると、これは相当勇気がいる。なぜなら、ウツは心の弱い人がかかるとか、気合いが足りないとか、責任感がないとか、いう冷たい視線があるからだ。

 「ウツなんて、心の風邪でしょ」といかにもウツの全てを知り尽くしたような顔で、軽く受け流す傾向はかなりある。とくもかくも「自己責任じゃないか、責任感なさすぎる!」という話がまるで常識でもあるかのように、普通にまかり通っている。筆者も、まさにそのような罵声を受け、非常に参っている。

 まあ、再発にせよ、発症にせよ、先に挙げた①の外因的要因というのがある以上、すなわち、うまくストレスを消化できなかったという部分においては、確かに筆者も含め、患者に責任が全くないとは言えないとだろう。

 だが、患者本人の責任の度合いを考えた場合、例えば交通事故のように、客観的に数値化することは不可能である。何より、ウツになるということの症状においては、自己責任を引き合いに出すこと自体、かなり無茶だと思う。

 ウツの偏見や差別があるため、患者は孤立しやすい。また、うつ病の場合でも、発症年齢のピークが40代であることを考えると、患者の両親は、60代ないし70代であると想像される。妻や子供から見放され、両親にすら頼ることが出来ない状況となる可能性は高く、孤立化しやすい。

 躁うつ病に至っては、躁ないし軽躁状態の行動が「我儘」と「無責任」などと周囲から。すでに見放される可能性があり、鬱転すれば「いまさら面倒見ろなんて言うな」とばかりに三下り半を突きつけられるなど、うつ病に比べて、孤立するリスクは高い。

 ウツという恐るべき状態は、はっきり言って経験者にしか分からない。身も心も疲弊しきった状態である。正常な判断はできないし、もう死にたいと思う事もしばしば。夜は眠れないし、ただひたすら、不安と焦燥感だけが湧き上がる。もう筆舌しがたい苦痛だ。

 そんな状況の中、必死の思いでどうすればいいかを考え、もしかしたらという思いと、それを否定する心の葛藤を打ち破り、なんとか、心療内科や精神科へとたどり着く。何より、心療内科や精神科への抵抗感は、患者本人にも強いはずだ。受診するという最初のプロセスですら、ウツになった人には相当のパワーを必要とする。

 そういう人に責任をとらせること事態、相当な無茶ではないだろうか。かりに、ウツではなく、糖尿病や癌などの身体的な病気であれば、病室におしかけて、責任の所在などを問い詰める人は、少なくとも良識ある人間であれば、しないと思う。

 ウツだって同じだ。身も心も疲弊しきって、もう動けないほどの状態なのだ。ウツになりやすい人の病前性格の大半が「良心的」「責任感が強い」「対人関係では衝突を避け、他人に尽くそうとする」ものであることを加味すると、ウツの患者は、強い罪悪感を持ちやすい。少なくとも、誰かのせいにすることはないと思う。

 それに付け込むような責任の押し付けは、結局のところ、患者をよりいっそう追い詰められ、回復どころではなくなる。ウツという病での責任論の展開は、回復を遅らせるだけで、無意味なことであり、療養中の人には望ましいことではない。

 ただ、付け加えていうなら、心療内科ないし精神科を受診するという行為、これこそが、患者に与えられた、唯一の責任の取り方なんだと思う。そういう認識が広がれば、たとえウツを発症しても患者の回復が早まるのだから、社会的損失は今よりずっと小さくなる。気合いや根性では決して治らない、そして、身近な病であるウツに対して、そのような認識を持ってもらいたいと、筆者は強く願うばかりである。

参考記事:「8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 泉谷閑示」
      ダイヤモンドオンライン.2008-2009

映画「ツレがうつになりまして。」を見た。

日常から
11 /19 2012
 この映画を見た理由は、“うつ病”に関しての世間の認識と、自分の認識とがどうすれ違っているのかを確認してやる!という気持ちがあったからだ。

 この原作本の趣旨は、暗く重いイメージである“うつ病”について、コミカルなタッチで描くことで、“うつ病”に関する周知を狙ったもの!と聞いたような気がする。

 筆者は双極性障害であり、厳密な意味では“うつ病”すなわち単極性障害とは異なるが、鬱病エピソードにおける病相のイメージは、“うつ病”と重なる部分は多い。広い意味でいえば、うつとひとくくりにしていいと思う。

 で、率直にいうと、“うつ病”という本来の深刻さからいけば、映画で描かれる病相は、かなり軽い感じを受ける気がしないでもない。でも、涙があふれて、止まらなかった。それが、筆者の正直な感想なんだろうなと思う。

 それと、深刻な(うっかりすればサスペンス!?)映画ではなく、まず、分かり易さというところに重きを置いているのがいい。出来栄えは満点だ。是非、筆者の妻にも見せたい(妻、お願いだからうつをもっと知って!!)。

 病前性格という側面から行けば、ツレと筆者はだいぶ違う。几帳面なツレに対し、筆者はある意味大雑把で気分屋さん。だが、器用貧乏という言葉があるように、同時並行で何かの作業(例えば勉強)をすることは得意だ。それなりに仕事もバリバリこなしてきたつもりでいる。

 一方、ツレとよく似ている(と言わせてほしいな)部分は、まじめで努力家。よく面白味がない人間と陰口を叩かれたものだ。あと、ツレのようなクレーム対応もしてきた。あれは、経験しなければ分からないだろう。めちゃめちゃストレスがかかり、その日は夜も寝られないような心境に陥る。クレーム対応に行って、半日ほど軟禁されたこともあったっけ。

 ツレは一年ほどで、寛解したようだ。筆者は休職からはや半年がたつ。一時は鬱病エピソード脱出→寛解なるか?の状態にあったが、ここにきて、再び鬱転。どん底からやや這い上がったが、決して油断できない状態である。まあ、でも、ここでジタバタしてもしょうがない。あ(焦らない)と(特別扱いしない)で(できることからやる)で、今後を過ごしたいねえ。


公式サイトはこちら→「ツレがうつになりまして。」

双極性障害の認知度(理解度)というものが…

Mental Disorder
11 /01 2012
最初の発症から約20年、そして大鬱状態による休職。

自分自身の双極性障害について、意外に社会的認知度や理解度が低いことを確認させられた事実がある。

それは、私の両親だ。あんまり休職期間が長引いてる(といっても、まだ半年なんだが…十分長いか!?)と感じたのか、筆者の疾患についての本を読みたいと言い出した。

参考までに両親に進めた本は下記の通りだ。

①.マンガお手軽躁うつ病講座High&Low,たなかみる著,星和書店

②.双極性障害〈躁うつ病〉のことがよくわかる本 ーイラスト版ー ,野村総一郎監修,講談社.

③.双極性障害ー躁うつ病への対処と治療ー,加藤忠史著,筑摩書房.

④.「うつ」と「躁」の教科書,ブライアンーP.クイン著,大野祐監訳,紀ノ国屋書店.

⑤.うつ病の事典-うつ病と双極性障害が分かる本.樋口輝彦,野村総一郎,加藤忠史 共著,日本評論社.

⑥.かくれ躁うつ病が増えている-なかなか治らない心の病-.岩橋和彦,榎本稔,深間内文彦 共著,

いずれも2000円以下で入手できるものばかりだが、全部入手となると、結構なお値段となる。どれか1つということであれば、①か②といったところかなと思う。

さて、②を読んだ両親の態度が一変したのにはかなり驚いた。想像以上に筆者の疾患が深刻であることを理解し、なぜ、半年近くも休職中なのかが分かったとのことだった。

筆者は、とてもありがたいと感じる反面、両親ですらあまり深刻に受け止めてなかったんだな、という切ない思いがこみ上げた。社会的認知度の低さという現実を改めて思い知らされたからだ。

例えば、同じ気分障害の範疇にある単極性障害(いわゆるうつ病)についても決して社会的認知度が高いとは言えない。その一例を如実に表しているのが、香山リカ女史による「うつと気分障害(岡田尊司/幻冬舎新書)」の書評だ。

“最近は、うつ病に軽い躁状態が混在する双極性障害も増えつつあるが、そういった現代に増えつつある“うつ病バリエーション”にもくわしいのが【うつと気分障害】。「ああ、うつ病。心のカゼだよね」とわかったふりをして簡単にすませるのは危険、ということがよくわかる。”

双極性障害に至っては、もっと辛い現実がある。軽躁病もしくは躁病エピソードによる社会的信頼の喪失などを原因とするQOL(生活の質)の低下は、たぶんうつ病以上に深刻だと思う。

最近、ニュースの特集で、アルツハイマー病といった認知症がなどがたびたび取り上げられ、認知症に関する社会的認知度は、だんだん上がっているようだが、双極性障害についてはさっぱりである。せいぜい、うつ病の特集のついでに双極性障害を取り上げる程度で、筆者としてはやりきれない思いだ。今後、双極性障害の社会的認知度が、少しでも高くなることを願うばかりである。

クロサワウヅキ

性別:男
年齢:アラフォー

20代前半でForceに目覚める。
その後、SithのDark Lord〝Darth Ruin(Ⅱ)〟を襲名
というStar Warsのコアなファン

なお、メンヘルへの誹謗・中傷は許しません。