一人で生きていくわけにはいかないんですよね...

日常から
05 /30 2013
 人との距離感に戸惑うのは、昔から持っている筆者の悩みです。そういう距離感を、今回の休職を機に、デイケアを機に掴もうという決意が筆者にはあります。

 なぜ、距離感に戸惑うかというと、前にも書いた通り、誰かに真似されたり、アイデアを盗まれたり、執拗に知識のみを求められることが嫌だからです。

 世渡り上手な器用な人が世間を謳歌し、「運が悪い」という言葉で踏みつけられるのが嫌で、あえて人と距離を取りすぎるけど、結果が筆者に望ましくないケースになることが多々ありました。

 筆者は、例えばグループで何かをする時、「このまま、誰も気付かなければ失敗するな」ということが分かっていても、何も口を挟まず、事態が悪化することをあえて望んだりします。

 ですが、やっぱり、それは本質的には筆者の意に大きく反することであり、実のところ、かなりフラストレーションが溜まります。

 今日もそうなりかけましたが、今日は咄嗟に行動に出ました。この辺りはむしろ双極性障害の人にありがちなパターンですね。

 ただ、いい塩梅に、今回はいい方向に向かいました。グループ自体の動きが煮え切って緩慢となりかけた頃合いをうまく見計らうことができました。

 もちろん、かなり年配の方のオヒキもあり、グループ全体の呼吸が合ったというのもありますね。そして、自分のみならず、他の人の満足度もうpさせられました。

 昔からそうですが、自分より年上の知識と経験に富む方が絡むとうまくいく場合が多いようで、今も、あんまり同年代の友人は少ないです。同年代以下だとタカられるから鬱陶しいんです。

 今回の場合に限り、同年代以下の人がいても、知識と経験が十分な人がいたおかげで、グループの呼吸を読むことができました。

 当たり前すぎることなのかもしれませんが、そっちの方をメインとする方が自分に合うと、やっぱり再確認できたのはよかったと思います。



 知識過少・自尊心大...と感じる人がグループにいなかったことも幸いでした。


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立ち上がった猿...ミッシングリンクのピースが一つがハマった

日常から
05 /28 2013
 Homo sapiens sapiens(新人)と呼ばれる今の人類が出現したのはだいたい20万年前ぐらいとされています。

 それ以前は、旧人→原人→猿人→猿(?)の順に古くなっているとされています。そして、新人、つまり現代人の特徴である二足歩行は、猿人以前から獲得していたようです。

 600万年前から500万年前くらいには、すでに二足歩行する猿が登場していたとされていますが、なぜ、二足歩行をするようになったのか、様々な説があります。

 有力な説として、猿の住処であった森の木が気候変動で減少したためにやむを得ず二足で地上を歩行するようになったとするものがあります。

 しかし、先日「二足歩行が、気候変動による植生の変化への対応ではなくて、地形への対応として発達した可能性がある」のではないかという論文が提出されました。

 初期人類、二足歩行を「岩場」で獲得 英研究

 原文はこちら
“Complex topography and human evolution: the missing link”

 なかなか興味深い話です。一方、これはちょっとないんじゃないの!? と思いながら、想像力に駆られるものとして人類アクア説なるものもあります。

 もちろん、学術的根拠もほとんどなく、実質的にはムー大陸やアトランティス大陸と同じくらいトンデモない説とされています。

 そして、あろうことか、人類が海に戻った時期、同じ水棲哺乳類であるクジラやイルカとともに生息し、コミニュケーションすら可能だった...などという話が付随している場合があります。

 さすがにここまで話が飛ぶと、SF小説の題材(例えばアビス等々)にはいいかもしれませんが、いくらなんでも...と思ってしまいます。

 ただ、例えば精神療法の一種であるアニマルセラピーで、イルカを使うと自閉症といった「幼児期、小児期、または青年期に初めて診断される障害」の治療に劇的な効果があると...

 まことしやかに言われています。しかも、なぜイルカが劇的な効果をもたらすかというと、さっき書いたようにイルカとのコミニュケーションを本能として思い出すから...

 と、まあ、そんなことが現実にあるのか、そもそも統計学的な根拠があるのか、科学的・医学的検証がなされているのか...と反論したくなるものですが。

 あの愛らしいイルカにそれなりの愛着を感じ、より深いコミニュケーションが取れるのでは...と確かに錯覚しそうです。

 だから、とりあえず、学術的検証は横において、人類アクア説に、筆者は、それなりのロマンを掻き立てられるのかな、と思います。



アメリカ社会に学ぶ ‐リック・ウォレン牧師の息子の自殺-

Mental Disorder
05 /26 2013
大統領就任式に登場した牧師の息子が自殺
自死遺族へのアメリカ社会の成熟した態度「泣く者と共に泣く」



 上述の記事を読んでもらえば分かりますが、「WHOによれば、自殺者の95パーセントは何らかの心の不調を抱えている」とのことです。

 だからでしょうか。日本には自殺をする人は弱い人だとか、卑怯だとか、命や人生を大切にしていないと考える風潮があります。

 もし、本当に自殺予防というものを大きな視野で論ずるのであれば、上述のWHOの報告を厳粛に受け入れることが大変重要だと思います。

 なお、今回の自殺の件をみるところ、記事を見るかぎりにおいて、日本の社会的成熟度は、アメリカよりも相当劣っていると考えざろう得ません。

 日本でたびたび報道される有名人の自殺について、どのようになされていたでしょうか。原因の追及に終始し、アメリカのような動きは、ほとんど皆無ではなかったでしょうか。

 そして、さらに筆者がゾッとしたのは、友人と称する人の多くが「あなたを失って、私はこれだけ悲しい」等々のヒロイックな欺瞞に満ちた言動を呈していたことです。

 最も悲しく、傷つき、憔悴しているのは遺族です。日本の場合、「だから自殺は良くない」と諭します。しかし、アメリカはウォレン師とともに泣いています。

 これは決定的な差ではないでしょうか。そもそも「自殺は良くない」と諭すことと、遺族を慰めることとは全く次元の異なる話です。アメリカはそれを市民レベルで理解しているのです。

 自殺を企図している人に「自殺は良くない」と諭すことが自殺予防に役立つでしょうか。諭すとは「目下の者に物事の道理を説明したり、教え導くこと」です。

 上から目線で説教されて、誰が自殺を思いとどまるでしょうか。むしろ、自殺を企図する人を追い詰めるだけです。最後の一押しをするだけになり得るのです。

 だから、筆者の身近にもいる「諭す人」に対し、筆者はいつも底知れぬ恐ろしさを感じます。その手は自殺者の血で真っ赤に染まり、自殺者の怨念が宿っているように見えるからです。

 肩肘を張らず、自分(自国)は劣っていることを認め、他者(他国)に真摯にならうこと、それが、本質的な意味での自殺予防になるきっかけ、ターニングポイントになるのではないかと、筆者は思います。



生体の投入...アクアリウムに水棲生物が降り立つ

COSMOS
05 /21 2013
 そろそろアクアリウムの水もこなれてきたようです。ある程度アクアリウムをやっていると、何となく、水質が安定してきたことを直感で分かってきます。

 すでに、水草は、新しい環境になれてきて、新芽を出し始めています。水中の酸素含有量もほど良くなってきているのでしょう。

 いよいよ、生体(パイロット・フィッシュ)の投入です。投入して、既に3日ほど過ぎましたが、問題なく生きて、元気よく水槽内を泳いでいます。

 今日、硝酸の濃度もチェックしましたが、生体の投入後の急激な上昇(育成環境の激変)はないので、水質は極めて良好といったところでしょうか。

 水槽を立ち上げ、浄化バクテリアを繁殖させ、魚などの生体の生存に程よい環境を作り上げるという行為は、過酷な宇宙空間に人間の生存できる大きな居住スペース、地球という惑星の成り立ちとよく似ていると、筆者は思います。

 例えば、地球上の二酸化炭素量やオゾン濃度などを観測し、環境の変化と関連性がないかどうかを観測することと、水槽内の硝酸の濃度やpHの変化が生体へ悪影響を及ぼさないレベルかどうかを確認するところとか。

 そういったスケールで考えるのであれば、アクアリウムは、バックミンスター・フラーが提唱した『宇宙船地球号』の概念を、陸上で(しかも個人で)ミニスケールで具現化したものと言えるかもしれません。

 あるいは、「地球があたかもひとつの生命体のように自己調節システムを備えている」とする、ジェームズ・ラブロックの『ガイア仮説(理論)』にも、かなり通じるところがあると思います。例えば、浄化バクテリアの働きが水質の安定に貢献しているところとか。

 『宇宙船地球号』と『ガイア仮説』には意見の対立があり、人によっては大きな矛盾や隔たりがあると言われていますが、筆者は、人間を含む多様な生体が過酷な宇宙空間に生存できるスペースが地球にある点で、両者に一致があると筆者は受け取っています。

 筆者は、どちらかというと『ガイア仮説』の方が好きです。ですが、実際のところ、アクアリウムは、水槽や浄化装置等の無機質な機械類と、浄化バクテリアや水草と生体との相互作用、この両者で成り立っています。

 そういう意味からいけば、アクアリウムとは『宇宙船地球号』という概念と『ガイア仮説』の概念の真ん中、あるいは、ミニスケールで両者の概念を融合し、具現化したものといえるかもしれませんね。



H3ロケット開発

COSMOS
05 /19 2013
 アクアリウムネタと宇宙関連のネタ等がかぶってきたので、これらを統合し、『COSMOS』というカテゴリにしました。もちろん『COSMOS』は故カール・セーガン博士の著書からです。

 さて、5月17日に国の宇宙政策委員会から「次世代基幹ロケット H3開発」の発表がなされました。打ち上げ費の大幅なコストダウンを図ってのものです。

 また、宇宙開発における「衛星の打ち上げビジネスなどでの国際競争力の向上」というお題目として掲げられていますが、別段無理して掲げることもないかなと筆者は思っています。

 アニメ「宇宙兄弟」の第13話「3次元アリ」、マンガでは#25-#26で、宇宙開発の必要性について、問いただす内容がありました。

 ここでは「地球上に解決すべき問題が山積みなのにそんなことにお金をかけるべきなのか」という辛口キャスターの話に対する抗議についてを描いていました。

 しかし、これはマンガやアニメの世界だけでなく、実際にそう述べている政治家や識者もいるのが現実です。そんなことにお金をつぎ込むくらいなら、まず被災地復興を...等々。

 さて、宇宙兄弟でムッタが述べた「3次元アリ」はかなり説得力のあるものでした。そして、筆者は、この考え方にとても共感を覚えるとともに、強く感動しました。

 その一方で、筆者が(まずありえませんが)もし、宇宙飛行士の試験を受けている時に、そういう課題を与えられたら、どう答えるかを考えてみました。

 地球上のあらゆる生命体は、生存できるスペースを確保し、そしてそれを押し広げて、進化し、繁栄を遂げてきました。これは人類にも当てはまることです。

 人類は、地球のあるところに生存できるスペースを確保したのち、知的な進化を遂げ、ついには地球上のさまざまな場所に、多様な知的な繁栄を遂げました。

 そして、人類の知的な進化が、一定の成熟度に達した今、次なるステップを踏む段階(時期)が来たのだろうと思います。

 その1つが、未だ未知の無限の可能性を秘めた宇宙というフロンティアであり、むしろ、宇宙開発は人類の知的な進化における必然的なシナリオの1つであろうと...


 なお、筆者は、上述のような宇宙開発の否定論について、強く異議を唱える気も、毛頭ありません。1つの意見として受け入れます。

 例えば、時として、一度ある程度の生存できるスペースを確保した生命体がそこにずっと依存し続けることは決して稀なことではありません。

 同じように、例えば、日本国内において、思考の違いという観点から、宇宙開発に邁進しようとする意見(種)と、それを否定する意見(種)が存在しても何ら不思議ではないのです。

 人間の思考の多様性を、生物(生命)の多様性に当てはめることが正しいかどうか、賛否はあるかと思いますが、筆者は、妥当だと思っています。

 そして、筆者はただ自然科学の分野に身をおいているから、宇宙開発に邁進しようとする側にいるだけなのです。

 だから、筆者は、否定的な意見も認めた上で、「宇宙兄弟」の兄ムッタが述べることとは違う観点で、ムッタと同じように、あえて抗議はしない...という選択をすると思います。

 いずれ軌道エレベータの開発により、宇宙がもっと身近になれば、そういう意見はきっとなくなるだろうと、そう信じています。



 実際にカーボンナノチューブを使って、レール、ケーブルの強度をどう高くしていくか、そういう研究をされている方から「早期に実現させる!!」という心強い意見もいただきました。

宇宙の話をしましょう。

COSMOS
05 /14 2013
 「なんだ、宇宙兄弟のパクリじゃん」という声が聞こえてきそうですが、決してそんなことはありません!!

 1980年に発行されたCOMOS(故Carl Edward Sagan著,木村 繁訳)の発売記念講演会で、まず冒頭に言っていたのが「宇宙の話をしましょう。」でした(と記憶しています...汗)。

 当時、まだ小学生だった筆者は、ただ宇宙の話を聞きたいという興味だけで、この講演会を聞きにいったのですが、所詮は小学生、話があまりに難しすぎました。

 しかし、唯一理解できた話が「宇宙の地平線」なるものでした。まあ、よく理解したものだ。きっと説明が良かったに違いない...と思います。



 この動画で3:33に出てくる「Our cosmic horizon in space(宇宙の地平線)」は、宇宙のあらゆる場所においても存在する、という内容です。

 つまり、『光速で遠ざかっている137億光年の彼方にある宇宙の地平線は、たとえ、今、瞬間移動して宇宙の地平線に行っても、そこにはやはり同じく137億光年の彼方に、光速で遠ざかる宇宙の地平線が存在する』ということです。

 何かとんちのような話ですが、筆者は、図でそれを説明され、なぜか妙に納得しました...今思えば、筆者は、ずいぶんと背伸びした小学生だったと苦笑いが浮かびます。

 さて、実際に、これは相対性理論でちゃんと証明できますが、それは横において、これを逆説的に(地球という場で)捉えると、地球は宇宙の中心であるとも言い変えることができます。

 よぉく上の動画を見てください。ずーっと地球を中心にしてシミュレートして、描いていることが分かると思いますよ。

 厳密な意味でいくと、中心と定めた場所が宇宙の中心であるということであり、宇宙のいずれの場所も中心となりうるということです。こちらもとんちのような話です。

 さらに、宗教を背景とした強力な支配体系のためにでっち上げられた「地球は宇宙の中心である」という説は、ある方向からすれば、真実とも言えるわけで、言い得て妙ということでしょうか。



 なお、この話に感激し、感動した筆者は、学校で、この「宇宙の話」したのですが、誰一人とりあってくれなかった...という悲しい思い出もあります。

アメリカに学ぶ社会的支援、被害者へのメンタルケア

Mental Disorder
05 /13 2013
 アメリカオハイオ州で女性3人が約10年間監禁されていた事件。今さら、詳細な事件内容やら分析やら背景やらは、それなりの専門家に委ねるとして。筆者が驚いたのは被害者へのケアについてです。

 精神医学や心理学で、二歩も三歩も先を行くアメリカは、今回の被害者に対して『被害者の名前を公表』し、『女性警官を護衛に付け』て、その上で『手記を書いてもらう』そうです。

 『女性警官を護衛に付け』ることは、いつも誰かに護られているという安心感を与えることで、PTSDに対するケアを意味するものであると想像されます。

 日本ではあまり見られないであろう『被害者の名前を公表』するのは、監禁という地獄から生還した勝利者であることを印象付け、被害者に前向きになってもらうとのこと。

 また、『手記を書いてもらう』のは、被害者に事件と向き合ってもらうことで、メンタルケアの一環とのことです。おそらくは、精神医なりカウンセラーなりの助力のもと、とは思いますが。

 さすがはメンタルケア先進国です。筆者は、この事件を通し、メンタルケアというものについて、日本がアメリカから学ぶべきであろうことが、非常に多くあると思わずにはいられません。

また、上がり始めたんですかね。

日常から
05 /10 2013
 最近、また上がり始めたようです。軽躁病相になると、記憶力が極端に上がってきます。筆者が掴み始めた、軽躁病相突入時の傾向なんですが、どうでもいいことまで覚えてしまいます。

 見たまんまの情景が浮かぶので、一応数も数えられます。ただし、音は聞こえません。音も記憶出来たら、例えば音楽とか語学とかに使えるのですが、情景を記憶している時は、音の記憶が薄れます。

 そして、情景の思い返しをやると、後でどっと疲れるます。これを昔から「脳がオーバーヒート」と呼んでいました。今日はそういう事が少し必要だったので、けっこう疲れました。



アクアリウム...新しい風景へと

COSMOS
05 /10 2013
 アクアリウムネタについて、いろいろと書けそうなので新しいカテゴリを追加しました。

 アクアリウムを筆者の作り出す心の風景として捉えれば、筆者自身の内面をフィールできるかも、という思い付きからです。以前にも述べました通り、箱庭療法の変化型と思っています。

 さて、今回、新たな水草を追加しました。一週間前に仕入れたアナカリス(オオカナダモ:学校の教材でよく使いますね、葉緑素の観察とかで)です。

 一週間の期間を設けたのは、好ましくない害虫(ヒドラ・スネール・プラナリア等)を、水槽内に入れないようにするためで、いわば検疫のようなものです。

 検疫は、もともと国単位等で、病原体や害虫などの有害生物の侵入を防ぐシステムとして実施されていました。

 近年では、生物多様性の観点から、独自の生態系を持つ特定の地域(例えばオーストラリア等)での検疫も実施されています。

 そして、今後、もし火星とかで地球外生命体が発見されたとして、そして、火星への有人探査が行われたとした場合、地球と火星での、いわば惑星単位での検疫も行われることでしょうね。

 そう考えると、やっぱり水槽も独自の生態系を持つ、小さき〝ガイア〟であるという事なんだと、筆者は納得しています。

 

アクアリウム...心の風景

COSMOS
05 /09 2013
 前回に引き続き、アクアリウムネタです。というのも、今回、水槽を掃除し、改めてアクアリウムを再開するのは、GW中の目標だったからです。

 前回、ようやくそれを達成したわけで、次はレイアウトです。とりあえず形は作りましたが、いずれ凝ったものとしていこうとは考えています。

 で、ふと気付いたのですが、これってひょっとすると箱庭療法の一種に該当していないか...という Forceの導き 直感です。

 昨年から今年にかけて、アクアリウムに向かい合う気持ちになっていなかった...つまり、荒廃した心の風景は、ジャングルのように水草が無秩序に茂っていたのと一緒だったのかなと...

 今回、無秩序になっていた水草を丹念に解きほぐし、水槽を綺麗にし、改めてアクアリウムと向かい合おうとする気持ちは、前を向こうとする気持ちを反映しているのかなと...

 双極性障害の人たちは、2004年10月に福岡市で行われた神田橋條治氏の講演録によれば、自分の内側を言語化することが不得意であるとのことです。

 その一方で、自分の内側をフィールしたらそれを行動に結びつけることが得意とされており、心理療法で自分の内面を認知する箱庭療法はうってつけなんじゃないかと思うのです。

 「セラピストが見守る中」で行う従来のやり方とは違いますが、水槽をどういじくるか等の気持ちは、たぶん、自分の内側をフィールすることを一緒で、自分心理療法になるかもしれませんね。


 水槽にはまだ水草だけ...淋しい限りです。

アクアリウム...小さきガイア

COSMOS
05 /08 2013
 一般にアクアリウムとは、水生生物を飼育・栽培することを指します。

 しかし、これにのめり込んでいくと、そこには、湖沼/河川/海洋から切り取った1つの世界、生態系の1つが形成されていることに気付きます。

 もちろん、その小さき世界は、非常にデリケートであり、人の手でこまめに調整をしていく必要はありますが、1つ間違うとあっという間に、その世界は崩壊し、大半の水棲生物は死に絶えます。

 これは、たびたび、地球上で起こっているMass Extinction(Extinction Event:生物の大量絶滅)と非常によく似ています。

 水質の変化、あるいは水温の上昇などを機に、まず、水の浄化作用を担うバクテリアが死滅し水質が悪化、そして魚が次々死んでいく等々

 きっかけは、本当に些細です。びっくりするくらい些細です。そして、変化の兆しが現れたとたん、ドミノ倒しのように一気に絶滅していく...



 ここ一年ずっと放りっ放しだった水槽に、久々に手を付けました。一年間、ずっと放っておいたのですが、独自の生態系を作り上げていたようで、水草びっしり、ジャングルのような有様でした。

 いったん水草を引き出し、間引いて、3時間以上かけて、丹念に水槽内を洗い、新たな水の世界を構築してみました。さて、新たなる小さき世界〝Gaia〟存続させていきたいです。

Monster

Mental Disorder
05 /05 2013
  『うつ病新時代―双極2型障害という病(精神科医からのメッセージ)』で、精神科医の内海 健氏は、軽躁のことを〝デーモン〟と呼んでいます。

 実際に軽躁はかなり厄介です。性格の問題とか我儘とかに映り易い。本人はもちろん、周囲も、病相と捉えることが、なかなかできません。

 ですが、今回の休職を機に、筆者は病相と自覚しましたが、なお、厄介と感じます。冬季うつが治まり、ようやくというこの段階で。この高揚感はたぶん軽躁ですか?

 転導性や観念奔走がほとんどない(若干はある)であろうため、かなり扱いに困るもう一人の自分というところでしょうか。

 〝Monster〟なんです。こう書くと浦沢直樹の『Monster(モンスター)』のパクリっぽく見えますが、本当にそんな感じなんです。他人から見た自分は、いったいどう映っているのか。

 筆者にとって、これから、かなり深刻な時期を迎えます。いつも4月中旬~5月初旬から。


 “Monster in my mind have woke up, now...”

 筆者の私見ですが、『Monster(モンスター)』におけるストーリーの主軸にあるものは〝境界性パーソナリティ障害〟ではないかと思っています。

自殺というある出来事に思う事...

Mental Disorder
05 /04 2013
 以前、2013年1月22日(火)付の朝日新聞の朝刊「天声人語」から『死ぬ勇気があれば...』という記事や『「ワクチン」的対策』という記事で〝自殺問題〟書かせてもらいました。

 今回、ウクレレ漫談家の牧伸二氏の自殺を受けて、改めて、人はなぜ〝自殺〟するのか? ということを書きたいと思います。

 例えば、牧信二氏の件に関して、ググってみますと、実は〝うつ病〟だったとか、いろいろと心労が重なり、心を病んでいた等のいかにも、らしいようなものが出てきます。

 心を病むと、あるいはうつ病になると自殺する?? 本当にそうなのでしょうか。筆者はありきたりの話に疑問を感じました。

 前述の「天声人語」にあった『未遂者によれば、何やら黒いものに追われて、それどころではない』というのは、抽象的ではありますが、かなり真に迫っているとは思います。

 でも、これではよく分かりません。筆者が思うに、自殺する心理とは『生へ渇望』『死の恐怖』の2つを失った時と思っています。

 いかにも知ったようなことを書いていることは重々承知ですが、双極性障害の重度の大うつ病相を何とか乗り切って得た、現時点での筆者なりの結論です。

 『生へ渇望』を失っても『死の恐怖』が失っていなければ、自殺を思いとどまるでしょう。逆に『死の恐怖』を失っても『生へ渇望』があれば、やはり自殺を踏みとどまると思います。

 思うに『生へ渇望』もしくは『死の恐怖』を失った人は、次に『死の恐怖』もしくは『生へ渇望』を失うことを無意識に恐怖し、『黒いものに追われて』いると感じるではないかと思うのです。

 ですから、ありきたりの「自殺はダメ...」というキャッチフレーズで、自殺を本当に防げないと思うから、『「ワクチン」的対策』という記事を書かせていただいたわけです。

 今回の記事にあるような「うつ病であった」とか、「心を病んでいた」とかいうのは『生へ渇望』『死の恐怖』の2つを失う〝きっかけ〟であると思います。

 そして〝きっかけ〟=〝原因〟というありきたりの公式に捉われている限り、なぜ自殺するのか? という本質的な部分には近づけないのではないかと思います。


 

統合失調症...

Mental Disorder
05 /03 2013
 現在、デイケアに通って、社会復帰を目指しているとはいえ、今現在も、いろいろと考える時間はたっぷりとあります。

 せっかく与えられた時間を有効に...と筆者は、自身の疾病を深く勉強していきました。これは『「うつ」と「躁」の教科書(ブライアン・P.クイン著)』がきっかけです。

 最近、二大精神疾患のもう片方、統合失調症について知りたいと考えるようになってきました。これは筆者があんまり統合失調症について知らないからです。

 毎度お世話になっているWikipedia「統合失調症」を読んでみるのもいいですが、やはり手っ取り早くしるためにはマンガが一番でしょう。

 「ブラックジャックによろしく」第9巻~第12巻は、非常に参考になりました。もちろん、これが正しいと仮定すればですが(そうであると信じています。佐藤秀峰 殿!)。

統合失調症
 「ブラックジャックによろしく(佐藤秀峰 著)」第9巻より抜粋 マンガ on web

 さて、ここで出てくる「自分が自分である...そんな当たり前のことに自信が持てなくなる」という経験を一度もしたことがないと言う人はいるでしょうか。

 いないでしょう。いたら、その人は自分を神かなんかと勘違いしているはずです。筆者はそういう人と友達になることはもちろん、近づきたくもありません。間違いなく異常者です。

 逆説的な言い方ですが、統合失調症は異常なものではなく、むしろ、人としての一定の思考の延長線上にあるだけという事に気付きます。

 つまり「自分が自分であること」それを確認し続けるということは、日常的なことであり、時にそれを見失うことは普通に起こっているということです。

 ただ、それが長期に渡ってしまい、その上、疾病と認識できないところに統合失調症というものが存在するわけです。ですが、疾病であるか否か、その境界は実に曖昧です。

 一応、その境界はDSM-IV-TRやICD-10に示されていますが、この境界はあくまでも便宜上、線引きされたものであり、絶対的なものではありません。

 「自分が自分であること」や「自分が何者であるか」を推し量り、そして見失い苦悩することが多い時期と言えば、思春期です。

 これは、ものの見事に、統合失調症の発症年齢のピークが10歳代後半の20歳代前半である(男性の場合ですが)ことと一致します。

 人間ならではの、成長の途上に訪れる苦悩、その延長線上に、ごく自然な形で統合失調症は存在しているという、ただそれだけのことだと、筆者は感じます。
 


 今回は、重々しくなく書けたと思います。いつもこういう調子で書ければいいのですが...

デイケアで気付いたこと...

Mental Disorder
05 /02 2013
 連休中で、世間が大型連休を謳歌している中、暦通りにデイケアに通う筆者っていったい...と、少しさみしい気持ちになっていますが、愚痴っても仕方がないことです。

 具体的なデイケア内容は一切書きませんが、時々気付いたことをぼやかしながら書いてます。で、前に書いたのが、ヒエラルキーめいたものの存在の可能性。

 今回、改めて気付いたのが、基本的にリワークやデイケアは〝うつ病(単極性障害)〟をメインに取り扱っており、ズレを感じるということです。

 精神疾患のうち〝うつ病〟は圧倒的に多いのですから、リワークやデイケアがそうなるのは当然です。しかし、ズレを意識せずにはいられません。なぜなら、筆者は双極性障害ですから。

 双極性障害の大うつ病相と単極性障害の大うつ症状は似ていますが、厳密には違います。病前性格に至ってはかなりの部分で異なります。

 だから、ときどき、筆者は単極性ではなく双極性だと言いたくなります。でも、それは悪い意味での差別を生むものとなりますので、ぐっとこらえます。

 実際のところ、デイケアやリワークで病名を明かすことは望ましいことなのでしょうか。筆者は、意外に悩んでいます。

 すでに周囲は気付いているでしょうね。現在の状態は、たぶん躁鬱混合状態。コントロールできていないので、ある意味、危険な状態とも言えます。

 ですが、単極性の人にとって、それが本当に病相なのかどうか、〝不思議ちゃん〟に見えているかもしれません。

 筆者はこういう視線には慣れっこですが、ただ、またか...という気持ちもあります。そして、筆者が持つ強力な自立意識や孤独好きは、たぶんこういうところからきているんだろうなと思います。

 こういう状況になると、筆者は無理に背伸びして、気付いたら軽躁へ突入...そして大うつへ、何度も繰り返してきました。この病気に気付くまでは。

 先にも書いたとおり、躁鬱混合状態であることは自覚していますが、なかなか気付きが行動に結びつかないことに歯がゆさを感じます。

 こういう感覚って双極性障害特有の悩みではないでしょうか。どうなのかなぁとググってみたら、面白いものを見つけました。

 医療法人 五稜会病院研修・研究にあったものです。
 『復職支援における双極性障害の困難性と支援の工夫』

 筆者にとっては、非常に興味深い内容ですね。



クロサワウヅキ

性別:男
年齢:アラフォー

20代前半でForceに目覚める。
その後、SithのDark Lord〝Darth Ruin(Ⅱ)〟を襲名
というStar Warsのコアなファン

なお、メンヘルへの誹謗・中傷は許しません。