地震予知...なんて

ニセ科学
06 /30 2013
 むしろ「日常から」というカテゴリにすべきかと思いましたが、新しい「ニセ科学」というカテゴリで...

 さて、最初のお題は「地震予知」なんですが、以下のような地図を見たことがあるという人も多いと思います。



 より詳細に、おらが町の確率はどんなもんだべという方は以下のサイトにごぅ!

「地震動予測地図ウェブサイト全国版」

 さて、地球上で起きる地震の約2割が発生する日本列島は、昔から地震に対する備えは、あらゆる意味で世界に先駆けるものとなっています。

 例えば、上述のマップなんぞ、まさに地震学の粋を行くものです。ですが、そもそも地震予知とは何かということについて、もう少し踏み込んでみましょう。

 つまり地震予知とは〝いつ〟〝どこで〟〝どのくらいの規模の〟地震が起きるかを的確に示さなければ、全く意味がありません。

 すでに、日本の地震学の粋は〝どこで〟〝どのくらいの規模の〟地震が起きるかは、かなりの確率(といっても東日本大震災は、地震学の敗北と言っていましたが)で当てています。

 では、今後、さらに科学の進歩があれば〝いつ〟起きるかを的確に当てることができるようになると、まことしやかに言われていますが...真っ赤な嘘です。

 〝いつ〟というレベルをどのくらいの範囲にするかですが、市民レベルで知りたいのは、せめて、平成〇〇年〇〇月〇〇日、というレベルじゃないでしょうか。

 はっきり言って無理です。どう無理かというと、例えば数ヶ月前ぐらいからとか、数年前からとかいうレベルでは絶対に無理なんです。

 また、数日前でも無理でしょう。もしかしたら...ぐらいのレベルなら可能かもしれませんが、周知されません。某国家団体は黙っているでしょう。

 なぜなら、パニックが起きるからです。その上、もし予知が外れたら、社会的損失はおそらく天文学的金額になるからです。

 で、なぜ予知が無理かというと地震は、いくつもの大小さまざまな要素に組み合わせによって発生するものであり、その時点で地震予知が「決定論的カオス」となってしまうからです。

 もう少し噛み砕いて言うと、地震の発生は、何をきっかけとするか、その時々で異なるのです。その日の天気が大雪だったから...とか、今日は大潮だったから...とか。

 決定論的カオスについては気象学の数値予報モデルでも述べられていることなので、詳細に知りたい方は、そちらから、どうかアプローチください。

 ですから、すでに予測できないことは、決定しているのです。どう頑張っても不可能なものは不可能なのです。いえ、あるいはこういう方法が...

 ある日、机の引き出しから「うふふぅ、ボク、〇ラえもぉん~」っていう奇跡が起きれば、ひょっとしたら可能になるかもしれません。

 仮に、机の引き出しから奇跡が起きたとしても、次にもっと恐ろしい問題が発生します。まあ、ぶっちゃけ、(エメット・ブラウン博士が言う)タイムパラドックスです。

  筆者の研究では  私見では「シュレーディンガーの猫」的な事象が発生し、ややもすれば、当宇宙の消滅という事態も起こり得るのではないか...ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ


 それを、まあ、ともかく狂ったように「いずれ科学が進歩すれば...」と呪詛のように唱える人たちがいますが、ありえません。

 むしろ、机の引き出しから起きる奇跡を期待する方がずっと現実的ではないでしょうか...と筆者は思っています。


 アメリカではエメット・ブラウン博士に期待するところ大...でしょうか(笑)

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相棒探し...

日常から
06 /29 2013
 アラフォーと、まあ、いい歳しているわけですし、レーサーレプリカは、かなり無理があります。今さら「遅れてきた銀狼」という世迷い事を言うつもりもありませんし。

 で、ここしばらく、本気で購入という目線で、バイクショップを回りました。以前から、ずっと欲しいとは思っていましたし、実は、そのための埋蔵金はありました(ささやかながら)。

 で、筆者としては、やはり

 みたいな(笑)

 もうそろそろ、梅雨明け頃に購入出来たら...トランク1つで リュックかついでツーリングなんぞ楽しめたら...もう復職は目の前かな。



今回使用した画像ファイルはスター・ウォーズの鉄人!から転載させていただきました。

自分をどこで見つけるの

Mental Disorder
06 /28 2013
 前回、前々回の記事から、まだ引っ張ります。そもそも、この記事を書く発端となったのは、香山リカ著『「心の時代」解体新書』の〝世紀末流行り病大賞〟からです。

 この著書によると、氷室京介(元BOOWY)の「DEAR ALGERNON」を発端とし、その後発刊されたDaniel Keyesの著書「24人のビリーミリガン」がヒットしたこと。

 そして、そこから生じた多重人格者ブーム。「実は、わたし〝多重人格者〟なの」という現象が起きたことを紹介しています。

 そこから垣間見えるのは、「本当の自分は他にいるはず」という自分探しの果てにたどり着いた〝多重人格者〟という特殊能力(?)であったことを述べています。

 今も、自己啓発本がそこそこの売れ行きを示しているところから、自分探しゲームは、未だ1つのブーム、あるいは通過儀礼として残っていることを示唆しているのでしょう。

 厳密には解離性同一性障害/DIDという、何となく特殊能力めいた(某雑誌の「〇×3 EYES」といったマンガの主人公みたいな)ものは、それが本当の自分みたいな...

 そういう憧れがあるのでしょうか。しかし、現実問題として、例えば「24人のビリーミリガン」で描かれているBilly Milligan氏は社会生活をおくる上で大変な苦労をされています。

 現実問題として、実際のDID患者は、社会との摩擦に苦しんでいるのです。そして、複数の人格を保持することでぎりぎりのバランスを保っています。

 そういうことには目を向けず、患者の苦労を何1つ理解しないまま、「実は、わたし〝多重人格者〟なの」というセリフには、怖気が走ります。

 それに近しいものはあるでしょう。「本当は自分も双極性障害かも」という言には。軽躁病相にある、爆発的な行動に魅了されたのでしょうか。

 現実には、そんなのんきなことは全く言えません。筆者は軽躁病相の時に生じてしまった社会との摩擦に、今もなお苦しんでいるのです。

 それを、なぜ...そうも気軽に「本当は自分も双極性障害かも」というのでしょうか。そこに垣間見えたのは、やはり軽躁という特殊な病相に「本当の自分」を探している浅ましさ。

 軽躁病相時の爆発的行動力(病的な焦燥感による目標志向性の活動)は、筆者にとっても大変な武器となりました。社会的な成功もなしえました。

 ですが、その陰には、筆者のしでかした破壊的行動の結果が死屍累々と横たわり、今もなお、それが怨念のように筆者の体に絡みつき、へばり付いているのです。

 そういうことにも思いめぐらせず、何か特殊めいた能力がある自分を発見したいという言葉が、「本当は自分も双極性障害かも」にはっきりと現れていました。



 しかし、よりにもよって、まさか双極性障害を自分探しのネタに使われるとは...全くの想定外でした。ですので、今、その人に対して、筆者は「Fuck you very very very much!!!」の思いを込めて、無視させていただいてます(現在進行中)。

 一応、これで、記事をずっと引っ張るのは終わり...です。

自分は大変なんだというアピール...orz

Mental Disorder
06 /26 2013
 前回の記事から少し引っ張ります。双極性障害の完治が困難であり、画期的な治療薬がない(症状を抑え、寛解させる治療薬はある)のは、DIDとたぶん同じでしょう。

 ただ、対処療法的に、非常に不安定となっている場合においては、気分安定薬や抗うつ薬なども処方されていくのかもしれません。保険適用かどうかは不明ですが...

 さて、一時期、筆者の周囲に副人格を持つ、自称〝多重人格者〟が出現しました。なんと、自分で副人格を発見(?)したそうで...

 で、日常生活において、どのような支障があるのか、あるいは、具体的にどのような治療を受けているのかを問いただしましたが...うやむやな返事しかしただけませんでした。

 その後、寛解したのでしょうか、それとも自然治癒でもしたのでしょうか(通常はありえませんが)、その後のことについて、何も語りませんでした。

 また、一時期、筆者の周囲にACの人が出現しました。あまり、きつい仕事ができない...強い口調で注意されるとパニックを起こすとのことです。

 治療薬を常備しているとのことでしたが、どう見ても市販薬にしか見えませんでした...気のせいだったのでしょうか?

 自称DID、もしくはACの共通点は、まず〝病弱アピール〟ありき。そして、自分探しなんだろうと、今さらながら思います。

 両者に共通しているのは、過去の苦しい(子供)時代が、今の不安定な自分を形成しているということですが...ひょっとしたら、筆者に何らかの言/行動を期待していたのかもしれません。

 そもそも、日本の精神医療は、このような患者をほっとく、あるいは自分で克服させる非道なものなのでしょうか。

 しかし、少なくとも今の筆者の主治医やカウンセラーのバックグランドに見える、日本の精神医療は、とても信頼のおけるものであると確信しています。



 精神疾患の治療において、本当に信頼できる医者/カウンセラーに出会うのは、なかなか難しいことですが、信頼できると心から確信できる医者/カウンセラーとの出会いは、社会へと復帰するための大きな転換点となることは間違いないでしょうね。

解離性同一性障害との比較

Mental Disorder
06 /25 2013
 この前、非常に興味深い話を聞きました。ある双極性障害の方が、あまりに激しい躁病相と鬱病相を呈し、しかもラピッドサイクラー(RapidCycler/RC)だったため、解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder/DID)という誤診を受けていたという話です。

 DID、いわゆる多重人格の障害は、日本においては『24人のビリー・ミリガン(Daniel-Keyes著)』で、一躍有名になった精神疾患です。

 DIDの原因は、よく幼児期の虐待など、これもまた一時期流行った『アダルトチルドレン(Adult Children/AC)』と同様に、あまりに出来過ぎた話が引き合いに出されます。

 しかし、精神疾患が全てそうであるように、ある時期のストレスやトラウマを引き合い(原因)に論うのは如何なものかと、筆者は常々思っています。

 ここでは、ACやDIDの発症要因については、横に置いて、双極性障害とDIDの類似性について、筆者なりに検証してみたいと思います。

 まず、DIDにおいて、重要なのは『一般に多重人格といわれるが、ひとつの肉体に複数の人間(人格)が宿った訳ではない。 あたかも独立した人間(人格)のように見えても、それらはその人の「部分」である(岡野憲一郎編 『わかりやすい「解離性障害」入門』)ということです。

 上記の内容に関しては、様々な意見があるとは思いますが、双極性障害との類似性を語るうえで、大変参考になると思います。

 つまり、双極性障害における〝躁病相/軽躁病相〟〝大うつ病相〟の期間、そして〝通常期(正常な状態)〟を個々に捉えると、まるで別人のように見えるということです。

 ただ、DIDと大きく異なるのは、各病相期と通常時の境界があいまいで、連続的に罹患者を観察した場合、どの状態を持って病相期、あるいは通常期と判断するか困難だと思います。

 しかし、その一方で、病相期に入る時は、何らかの身体的サインが生じるという話もあります。筆者は、大うつ病相期に入る時の身体的サインを確かに把握しています。

 つまり、ある見方からすれば、連続的に見える病相は、通常期のラインを跨る時、何らかの境界が存在する可能性があるということです。

 また、もう1つの類似性として、DIDの寛解/完治は〝人格の統合〟にあるとされている点です(しかし、最近は非現実的な目標かもしれない可能性が指摘されています)。

 双極性障害における寛解/完治も、病相期のコントロール(時には投薬により)して、程よい状態、つまり通常期の状態を維持し続けることにあります。

 これは、人格の統合とかなり近しいものを意味しているのではないかと、筆者は(直感的に)思います。

 さらに付け加えるのであれば、DIDの罹患者が、時に人格の統合を拒否する(副人格が消失することに恐怖と苦しみを持つ)ことにも、ある共通点を見出すことができます。

 これは、観念奔走や転導性を伴わないエネルギッシュな躁病相/軽躁病相を疾病と受け入れられない...治療を拒む、等のエピソードです。

 筆者も、実は「観念奔走や転導性を伴わないエネルギッシュな」良い軽躁病相を治療すること(つまり喪失すること)に、未だに抵抗をおぼえています。

 発症の要因とはみなしませんが、少なくとも、良い軽躁病相が、筆者の今までの画期的な何らかの成功を導いたのは事実です。

 しかし、それが疾病となってしまっているのは、軽躁病相が良いものだけではなく、悪い面も持ち合わせている(社会的信頼の失墜など)点です。

 また、軽躁病相と大うつ病相は、概ねワンセットです。大うつ病相が、好ましくないものであるのは、今さら言うまでもありません。

 これは、DIDの副人格には、好ましくない人格が存在することとよく似ています。しかも、時には犯罪という形で社会的信頼の失墜、破滅をもたらすこともあります。

 では、相違点はというと、DIDは疾病と気付かないうちは、副人格の存在はもちろん、記憶もない等の症状を持っている点があげられそうです。

 が、これも、確実に違うとは言い難い側面もあります。これは、躁病相/軽躁病相での、例えば、感情爆発といった状況においては記憶が飛ぶという事態が発生する点です。

 また、大うつ病相でも、その経過の記憶が曖昧...ということも筆者は経験しています。確かにそういう時期が存在していたはずなのに、なぜか生きている...といったような。

 『精神医学には昔から、単一精神病といった発想が伏流しており、さまざまな精神疾患は、別々なものではない。人間にはたった1つの精神疾患しかない』という論調があります。

 ひょっとしたら...ですが、DIDであれ、双極性障害であれ、その発症要因を〝内因性要因〟に求め、その基盤に基づく身体因的脆弱性から、様々な障害を具現化している...実は、全て、遺伝子変異に基づく特殊な進化(遺伝的な意味合いでの来訪者)の結果と考えられるのではないかと、筆者は常々思っていましたので、冒頭での誤診の話は、その一端を示すもの...と受け取れてしまうのです。



 ああ、長くなってしまった...でも、この記事、次回に少し引っ張る予定です。


最近、マナーはむしろ若者の方がいいと感じます。

日常から
06 /22 2013
 「今ねえ、電車の中なの、ハハハハ...」電車内で大声で話していたのは、いい歳したおばはんでした。

 初めて持った携帯に、少し浮ついた気分なんでしょうか。すぐ近くの人が注意してましたが、「いや、ちょっと注意されてね...うん、後でかけ直すから、そうそう」

 「かけ直す」と言いながら電話は続いています。「電話を止めろって言ってんだがや、分からんが!!」と、怒声を挙げたのは、実は筆者でした。(お騒がせして申し訳ありません)

 子供の頃、九州にいたせいか、たまに九州訛りが出ます。恐怖を感じたのか、すぐに通話を止めました。よほど気まずかったのか、逃げるように次の駅で降りてしまいました。

 マナーをちゃんと守ろうよ...

 映画館のマナーですが、電車内でも同じですよね。

 もう1つ


 光線を発射できれば、怒声を挙げる必要はなかったのですが(笑)

最近読んでいる本で...〝デュラックの海〟

ニセ科学
06 /20 2013
 軽躁に近い状態が続いていますので、少しでも方向をそらそうと、最近、量子論に関する本を読んでいます。

 ある程度、脳に負荷をかけ、余計なことを考えないようにする...という、筆者の勝手な治療法っぽい...みたいな?

 さて、読み進めていくうちに、〝デュラック〟という物理学者の名前にぶつかりました。、〝デュラック〟と言えば...そういう固有名詞が〇ヴァンゲリオンに出てませんでしたっけ?

 まず、〝デュラック〟についてですが、ディラック方程式の解から導かれる負エネルギーの電子の存在場を定義し、そこから生成される正電荷の電子の存在(つまり陽電子)を予言しました。
(というふうに筆者は解釈したのですがあっているかどうか自信がありません...汗)

 そして、我々が無と思っている真空が、実は負エネルギーの電子でぎっしりと詰まっていると述べました。これを〝デュラックの海〟と称しているわけです。

 で、ふと筆者が思ったのは〇ヴァンゲリオン初号機は、第十二使徒レリエルが 努力と根性 ATフィールドで作った〝デュラックの海〟に、あんなふうに容易く沈むのだろうかという疑問です。

 〝デュラックの海〟に基づく真空に高エネルギーのガンマ線を与えると、粒子と反粒子の生成(対生成)が生じると予想されています。

 では、物質そのものが、〝デュラックの海〟に放り出されたらどうなるかというと、考えられるのは、結局何も起きない...

 つまり、〝デュラックの海〟とは、真空は無ではないという概念であり、真空であることには変わりありません。ですから、何事もなく沈むのが妥当という事です。

 ただ、物理学的真空の場に引き摺りこまれるのですから、あのように時間をかけて〝ずぶずぶ~〟とではなく、一気に〝ヒュッポ〟と沈むんじゃないかと筆者は思います。

 そう考えると、パイロットの〇シンジ少年にしてみれば、その恐怖たるや、〝ずぶずぶ~〟の比ではなかったことでしょう。助けを求める暇もなく一気に...ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

 ところで、〇木リツコ博士は「あれは、〝デュラックの海〟よ」と熱っぽく語っていますが、そんな必要はあったのでしょうか。なかったのではないかと、筆者は思います。

 なぜ、あのように熱っぽく語ったか。ひょっとしたら、頭脳派の〇木リツコ博士としては、〝デュラックの海〟という難しい言葉を使って、「ドヤッ!」とバリバリの体育会系である〇城ミサトに、説明したかったのでしょうか!?

 とまあ、〝デュラックの海〟について検証したのですが、少し残念...筆者としては
 的な結論を期待していたのですが...

大金をかけるのではなく、手間暇を惜しまないことが大切だという事

COSMOS
06 /15 2013
 すでに水槽には熱帯魚が入れていました...全然告知していなかったのですが、生態系を十分に保ている程度の数でアカヒレをエビ、石巻貝と一緒に入れています。

 さて、現在使っている水槽は、購入時に付いていた純性のろ過装置やら照明やら使っていたのですが、購入してすでに2年が経過...あちらこちらに老朽化が見え始めました。

 要は、蛍光灯が寿命を迎え、ろ過装置のスペアのフィルターやらが、手元になくなってので、先日、ひいきにしている熱帯魚ショップに行って、それらを購入しようとしたら。

 なんと、このメーカーが倒産し、もう替えのフィルターや蛍光灯のスペアはないとか...えぇぇぇぇっと驚いたわけです。どうしよう、照明は、まあ仕方ないとして。

 ろ過装置のフィルターの交換は、水質を保つうえで、とても大切です。そろそろ交換しなきゃと思っていた矢先のことで、「在庫で残ってませんか?」「残念ながら、もう」

 仕方がないと、筆者はしばし熟考...「代用になるものはありませんか?」「ありません、新しくろ過装置を買ってください」「はい??」

 立て板に水とは、まさにこのこと...メーカーは違えど、フィルターの仕組みは基本的にどれも一緒、いろいろ手を尽せば、何らかの代用品を用いることはできるはず...

 筆者は、熱帯魚初心者ではありません。(自称)中級者です。なぜに即答...いきなり(筆者にとっては)高価なろ過装置を買えとぬかすか。

 じゃあ、いいや、自分で調べて、代用品を探すなり、作るなりしようと思い、今度は「まあ、替えのろ過装置はまた、検討します。今度は替えの照明なんですが」

 こちらも買い換えろときた。いや、口金が合うやつを探しているのですが。「ありません、メーカーによって違います」...これは真っ赤な嘘です。

 メーカーは違えど、照明の口金はE26かE17を基本としています。多少違う口金にしているメーカーもありますが、国内大手のメーカーはE26です。

 さすがに、もういいやと思い、無言で店を出ようとしたら、「一応、こちらに口金が合う製品がありますが」と突然言い出す始末。

 店員の対応は基本的には間違っていません。この際ですから、是非、新しいのをご購入くださいと言う姿勢は、商売する人にとっては正しいことです。でもねぇ

 仕方なく、筆者の家から1時間はかかる遠くの熱帯魚屋さんへ行くことにしました...とそこでは「ええ、このあたりが代用品としてお勧めですね」

 全然、違う対応...「いっそ、こちらとこちらで、あとは自作されては。安く済みますよ」この人はプロだ!と思わずには入られませんでした。

 何が言いたいかというと、「最近、原材料の値上がりがあるから、それに合わせて値段を上げよう」というラーメン屋の店主と「ここは、もうけが目減りしても、値段は据え置こう」という店主の差。

 さて、どちらに客が集まるかというと、言うまでもなく、値段を据え置いた方ですよね。結果的には、大きな売り上げがあり、もうけは増えるという図式です。


 ここで話を少しカテゴリのCOSMOSに当てはめてみましょう。

 例えば、地球上にあるエネルギー資源は有限です。有効活用する必要があります。現時点では、替えは効きません。

 もちろん、もう少し技術的な進歩が進み、月や火星、金星のテラフォーミングができるようになれば、ある意味替えが効くようにもなります。

 ですが、話は現時点でのことです。つまり、限りある資源を有効活用し、リデュースし、リユース・リサイクルをしていく必要があります。

 つまり、代用品を用いるなり、いろいろと工夫が必要であるという事です。そうでなければ、早晩、人類は破滅します。

 これは、先の熱帯魚用品と言った些細なことにも言えます。もう使えないから捨てちゃえ、は リデュースに反する行為です。買い換えるなどもってのほか。

 代用品を求めるということは、いわゆるリデュース・リユース・リサイクルの精神ではないでしょうか。例え、趣味の世界であれ、そういうことを意識するのは大変重要だと筆者は思います。


 結局、別の店のおすすめの通り、一部代用品を用いて、一部は自作しました。念のため、3日間ほど、水質チェックをしましたが、全く問題ありませんでした。


 その小さき熱帯魚の生息域、目に見えないバクテリア等の小さな生態系を具現化している水槽、小さきガイアに手間暇を惜しまずに形作れば、何も大金をかける必要などないという事です。

 逆説的に言えば、地球環境の改善も一緒です。大金をかければいいというものではなく、手間暇を惜しまないことが重要であると思うのです。

 
 Michael Jacksonの〝Heal the World〟は、Valensiaの〝Gaia〟と同様、素晴らしい曲ですね。

「うつ」の正しい過ごし方

Mental Disorder
06 /13 2013
 まず、最初に述べておきます。「IPJ 精神医療従事者専門情報サイト」で2013年3月28日に掲載されていた記事です。

「うつ」は医学用語ではない うつ病学会が指針

 この背景にあるのは、記事にあるように「一般人やジャーナリズムのみならず医師間でも、うつ病関連の用語があいまいに使用 され、混乱を招いているという懸念」からです。 

 ですが、ここでは、医師からの診断書をうけ、療養している人の疾病を一括して「うつ」と、あえて称します。

 この頃、不眠が続き、朝起きるのがつらい...電車の中で突然呼吸困難に陥った...駅のホームに立っていたら、電車に飛び込んでしまいたい気持ちになっていた...

 いわゆる「うつ」の典型的な症状であることは、すでに良く知られており、むしろ知らない人はいないであろうと思います。

 また、本屋にいやというほど溢れかえっている「うつ」に関する本を読めば分かるように、「うつ」の治療は投薬と休養...まあ、こちらもよく知られていると思います。

 さて、具体的に休養といってもどう過ごすべきなのか...「うつ」の正しい過ごし方とはいったいなんでしょうか。筆者はふと疑問に感じました。

 筆者は双極性障害、昨年起きた重度の大うつ病相での過ごし方について「何もできません、どう過ごせばいいのですか?」と主治医に泣きつくと「何もしないでいいんだよ」と言われました。

 重度の「うつ」状態にあれば、確かにこの過ごし方は当てはまります。では、ある程度回復してきたら、どう過ごすのでしょうか。

 周囲の人は、まず、回復期の突然の自殺に注意する...というのはよく言われています。ただ、罹患者本人はどう過ごすべきか、具体的なことを書いたものをあまり見たことがありません。

 復職というものを意識し始めた段階では、すでにかなり回復していると見込んでも差し支えないでしょう。筆者もそういう時期にあたっており、デイケアを通じて復職訓練をしています。

 しかし、デイケアといっても、土日や祝日は休みです。こういう時、どう過ごすべきか、意外に時間を持て余すケースは多いのではないでしょうか。

 では、回復期の気晴らし等を兼ねて...同じデイケア仲間には家族で温泉旅行に行った方もいらっしゃいます。また、バイクでツーリングをされている方もいらっしゃいます。

 その一方で、こんな記事も

 ・「新型うつ」で休職中社員 週末は結婚式場カメラマンバイト

 ・うつ病社員 休職中に大型バイク免許取得しツーリング楽しむ

 また、『「私はうつ」と言いたがる人たち(香山リカ著)』という本もありますね。「うつ」という診断を利用して疾病利得を目論む行為は、言語道断です。許されざるものです。

 ですが、先の「休職中に大型バイク免許取得しツーリング楽しむ」人について、仮に休職中、会社と定期的に連絡を取り続け、復職訓練なども行っていたとしたもNGだったでしょうか?

 こういったもののジャッジには主観が大きく入りますので、人によってはダメ出しする方もいるとは思います。しかし、そういう気晴らしすら許されないでしょうか?

 だから思ったのです。『「うつ」の正しい過ごし方』について

 さて、ここで、ある方の「うつ」の過ごし方について、ご紹介したいと思います。

 彼は、重度の「うつ」状態にある時は、家から一歩も出ることができませんでした。しかし、ある程度、回復の兆しが見えてきたので、勝手に薬を止めたら、また「うつ」がぶり返してしまいました。それからは、きちんと服薬するように心がけました。そして、かなり回復の兆しが見えて、家から出れるようになり、図書館などで1日を過ごせるようになりました。せっかく療養しているのだから、気晴らしにということで、アクアリウムや陶芸など趣味に没頭するようになりました。そして、時にはちょっとした旅行に出かけたり、コンサートやスポーツ観戦などをするようになりました...

 ここで、上記文章にある赤字のところはOKですかNGですか?

 筆者の思うところを言うと、最初の「勝手に薬を止めた」のはNGですが、そのほかは、全てOKだと思っています。

 「趣味など好きなことをして過ごすこと」はNGですか? 「気晴らしにちょっとした旅行に出かける」のはNGですか? あるいは、「コンサートやスポーツ観戦などをする」のはNGですか?


 悪戯心を持って書きましたが、上記の「ある方」とは、細川 貂々著「ツレがうつになりまして。」のツレさんの「うつ」の過ごし方から抜粋しました。

 逆説的に言えば、罹患者に対し悪意を持ってすれば、どんな過ごし方であろうと「うつ」の療養期間にした息抜き、気晴らしは、全てダメ...詐病じゃないか? と疑うことが出来るという事です。

 誰か『正しい「うつ」の過ごし方』を知っている方はいらっしゃいますか...
 療養期間中、あるいは、休職期間中、それぞれの罹患者が正しいと思う事をすればいいのであり、それに口挟むのは、如何なものかと思います。何を持って、正しいとジャッジすることはできません。
 ですから、例えばツーリングであったり、趣味であったり、温泉旅行であったり、それが自分にとって、良い療養であり、エネルギーをチャージできるものと判断しているのであれば、いくらやっても構わないと筆者は思います。

 ただ、もし休職中なのであれば、定期的な会社とのやり取りは絶対条件...とか、しっかりと考え、自分線引きをする必要はありますね。でも、日帰りツーリングや一泊、二泊ぐらいの旅行ぐらいならOKじゃないですか。人生の夏休みをのんびりと過ごす...


 この曲、少々政治色が絡んでいるとのうわさもありますが...

「生命とは何か」という本を読んでみた

日常から
06 /11 2013
 筆者にとって、「Newton」という雑誌は(きらいではないが)、そう手にする本ではありませんが、6月7日に出ていた「生命と何か」特集は、ちょっと興味があり、購入してしまいました。

 寝る前に読むものとしてはうってつけ(難しいから、だんだん飽きてくる)なので、ここしばらくゆっくりと呼んでいます。

 さて、この「生命とは何か」という問題は、今もって明確な定義がなされていません。なお、ここでの定義はいわゆるデカルト等の哲学的視点ではなく、純科学的な視点から述べるものです。

 筆者がまだ大学生であったころ、ある議論が勃発しました。それは地球上の最初の生命体とはいつ出現したか?というものです。

 これは、深く考えると、とてつもなく難しい問題であることに気付きます。なぜなら、まず、何を持って生命体とするか、という定義付けから始めなければならないからです。

 筆者を含め、あらゆる文献を参考資料とし、とりあえず、一応「代謝」し「増殖」するものを生命と定義付けました(その過程は省きます、長い話になるので)。

 では、次にどうやって、その最初の生命体の化石を探すか?ですが、これもまた難しい問題です。単に古い地層の石を顕微鏡で覗けば分かるというものではありません。

 例えば、何らかの「生命」っぽいものを見つけたとしましょう。それが確かに「代謝」し「増殖」したものであったという証拠を出さなければならないからです。

 一応、約40億年前ごろの地層に、「細胞分裂の途中で化石化したもの」っぽいものが発見されていますので、たぶん、この時期ぐらいじゃないかということが言われています。

 が、それは単に「増殖」っぽいものの証拠だけであり、「代謝」しているかどうかまでは、はっきりと分かりません。未だに、地球上にいつ、生命体が出現したか、未だに議論が尽きないのです。

 ただ、こういった議論や生命の定義は、例えば、火星や木星の衛星であるエウロパやガニメデ、土星の衛星であるエンケラドゥスに生命体はいるのか?という命題に直結します。

 目で見て明らかに生命体、例えばエウロパの地下にある海(液体)を悠然と泳ぐ魚っぽいものが発見されれば「いるじゃん」と簡単に言えます。

 ただ、地球外生命体が、地球と同じく炭素系生物とは限りません。その環境によっては珪素系生物がいてもおかしくないとする説もあります。

 その場合、人間が見ていても生命活動している事に気が付かない可能性だってあります。そういったところから派生したのがラブロックの「ガイア仮説」だったりするのかもしれませんね。

 今回「Newton」にあった「生命とは何か」という内容は尻切れトンボという感はぬぐえませんが、その命題だけでも、いろいろと想像できるわけで、筆者としては興味が尽きません。

 
 この映画に出てくる様々な精霊たちから「生命とは何か」というものを哲学的な視野で考えさせられるんじゃないかな、と筆者は思っています。

「うつは心の風邪」...チープすぎると感じます。

Mental Disorder
06 /10 2013
 6月7日に「IPJ 精神医療従事者専門情報サイト」で、以下のような記事が掲載されました。

 「周囲の理解が助け」 精神疾患啓発でオバマ氏

 大統領自ら、こういった啓発運動をすることは、とてもありがたいことです。が、逆説的には、実はアメリカも精神疾患への理解がそれほど浸透していないことを示しているわけですが。

 ただ「がんの治療だったらこんなことは考えられない」と強調するあたり、精神疾患を日本みたいに「うつは心の風邪」とチープなキャンペーンをはるよりは、はるかにましですね。

 バラク・オバマ氏は親の離婚の経験者であり、生活の荒れた時期を過ごした経験を有しています。ひょっとしたら、うつ病、あるいは酷いうつ状態を経験しているのかもしれません。

 実際に、何らかの薬物依存になっていた...との話もあります。そういった意味からすれば、オバマ氏にとって、精神疾患は身近なものであったのでしょう。

 だからこそ、「あなたは独りじゃない、周囲に支える人がいるよと伝えることが、精神疾患に苦しむ人の大きな助けになる」と強調するのかもしれませんね。

 さて、以前、筆者は、曖昧な書き方ではありましたが、安倍首相が双極性障害を持っている可能性を指摘しています。もっとも、筆者は精神科医ではありませんが。

 ただ、筆者の目から見る(フィールする)安倍首相は、何か近しい感覚を覚えます。2007年9月12日に辞任した当時、安倍氏はうつ病ではないかという見解もありました。

 安倍前首相の病名「うつ病」と和田秀樹が断定

 しかし、うつ病(単極性障害)と双極性障害は、まず区別できません。なので、上記の記事のように「うつ病」と断定するのは如何なものかと思っています。

 筆者が、なぜ安倍首相に、そのような感覚を覚えるかというと、ちょっと尋常ではない活動・言動よりもまず行動等々、双極性障害の軽躁病相特有のものを感じるからです。

 実際に、双極性障害持ちの政治家はけっこうにいます。それほど精力的な行動が必要であり、逆説的には、軽躁病相という〝モンスター〟は、政治家にとって大変都合がいいのでしょうね。

 安倍首相が本当に精神疾患を患っている、あるいは患ったかという話は別にして、改めて言うまでもなく、精神疾患は非常に身近なものであり、誰がなっても不思議ではない疾病です。

 このような記事を目にすると、やはり筆者としては、日本でも、安倍首相自ら精神疾患に対する理解を深める啓発運動を広く展開してもらいたい...そう強く願わずにはいられません。



Ninja!!!

日常から
06 /07 2013
 バイク乗りには、ホンダ党、ヤマハ党、スズキ党がいるもんだと筆者は勝手に思っています。筆者は、このうち、ホンダのCBシリーズに特別な思い入れがあります。

 なぜなら、最初に乗ったバイクがCB50S(原付)、そして中型二輪を取得してからCB250F(JADE)を乗っていたからです。

 しかし、その夢は突然破られます。仕事で少々長く出張するので、保管しがてら友人(だった人)にCB250F(JADE)を貸したら、三日目に盗まれたと連絡が来ました。

 ロックが壊れててかからなかったから盗まれたと友人(だった人)は言いましたが、それは友人(だった人)の勘違い。んなわけがない。

 三ヶ月後、JADEは無残な姿で発見されました。警察の手で保管されていたJADEを引き取りに、友人(だった人)を連れだっていきました。ロックが壊れていたかを確認するためです。

 ロックがかかるのを目の前で見せ、苦笑いする友人に一言「この外道!」と一喝。以来、その友人(だった人)とは絶交しています。

 その人にとってバイクとは相棒ではなく、ただの道具だったのでしょう。その事が尾を引いてか、長きにわたり、バイクに乗る気分になりませんでした。

 それは、相棒を人に貸してしまったことへの贖罪の気持ちだったかもしれません。しかし、今日、突然、その喪が明けた気分になりました。

 それはCBシリーズとは別の憧れだった「Ninja」に出会ったからです。実は中免を取った時、相棒を「JADE」にするか「Ninja(GPX250R-Ⅱ)」にするかを迷いました。

 しかし、GPX250R-Ⅱは、人気のせいか、学生だった筆者にはちょっと手が届きそうにない...といういきさつがありました。

 逆説的に言えば、選択肢がJADEしかなかったというのがあります。ですから、CB250シリーズとともにNinjaはもう1つの憧れでした。

 今日、あの頃の面影を微かに残すNinja 250に出会いました。思わず、ライダーに声をかけ、話し込んでしまいました。

忍者[1]

 もともとホンダ党だったけど、Ninja 250のセクシーさにひかれて...笑顔の素敵な彼女は、相棒への思い入れに照れるように語ってくれました。

 ああ、とてもいい相棒を得たんだな、Ninja 250...筆者は、バイクに対する思い入れを聞いたとき、Ninja 250が彼女とともに微笑んでいるように見えました。

 JADEよ、君のことは忘れない...でも、もう筆者は前を向くことにしたよ...新しい相棒を探しに行くから。それが、君にとっての最高の供養になると思うから...



 まあ、先立つお金が当面はありませんが...

人間の進化と遺伝子異常...来訪者

Mental Disorder
06 /03 2013
 女優Angelina Jolieさんの「予防的乳房切除」は世界に大きな衝撃を与えたことは記憶に新しい(って先月末じゃん)ですが、アメリカではこういった遺伝子診断は盛んとのことです。

 これは、市民レベルで思考的・哲学的な高さゆえのことで、現時点で、日本ではかなり難しいかと思います。

 なぜなら、例えば21トリソミー異常、つまりダウン症候群の出生前診断で、あれほど世間が揺れたことにはっきりと現れています。

 感情レベルでの議論だけが沸騰し、論理的な議論が全く展開されていません。それはマスコミ報道をみれば明らかです。

 いずれ、もっと遺伝子異常と病気との因果関係が判明してくれば、出生前診断は、さらに混迷を深めていくことは考えるまでもありません。

 例えば、筆者の双極性障害は遺伝的影響が比較的高いものであることはすでに分かっています。では、そういうリスクを背負った人を出生前に選別することもありうるのではないか?

 一般的に人間の60%は何らかの遺伝子変異(異常)を持っているといわれています。それが具現化するか否かは、環境因的要因などによります。

 ここから見えてくるのは、人間での遺伝子変異は、大多数とは言わないまでも過半数を占めており、少なくとも進化の必要性を促されている可能性があるという事です。

 双極性障害の場合は、多くの芸術家や政治家を輩出しており、双極性障害と創造性についてたびたび議論されています。

 もっとも、双極性障害と創造性に関する賛否は未だにはっきりとはしていませんが、少なくとも、そのような人達の出現が、いろいろな形で人間の知的進化を促したのは明らかです。

 もちろん、双極性障害だけではありません。例えば、先のAngelina Jolieさんも、かつては、うつ病を患いました。それがあったからこそ、今の輝きがあると言っても過言ではないでしょう。

 だいぶ話が飛躍したので、まとめたいと思います。

 まず、遺伝子変異は、人間の過半数が持つものであり、人間の進化、この場合は知的進化において、大きな役割を果たしているという事です。

 そして、もし、それを切り捨てるような出生前診断などが横行していけば、フラットな何の変わり映えもない画一的な人間しか存在しなくなるという事です。

 同時に人間の知的進化を止めることを意味するものであり、Breakthroughを否定するものであり、さらに、人間が知的進化を遂げる種であるということを強く否定するものであり、結果的には、人間の存在意義そのものを否定するものであるという事です。



 そんなことも理解していない今の日本社会において、出生前診断などもってのほか、ではないでしょうか。感情論に流されて欲しくない、筆者はそう思わずにはいられません。

気力がなくなってきた...

日常から
06 /03 2013
 かなり精神的にまいってます。何かあったのかというとあったので。

 ラピッドサイクラーではないのですが、気分の上下動が激しく、少し目を離せないらしいとのころですが。

 人間、生きていれば、辛いこともいっぱいあります。でも、自分を「悲劇の主人公」と思ったら負け、というのをどっかで聞きました。



 ただ、時にはブルーになって静かに過ごしてもいい時はありますよね。



クロサワウヅキ

性別:男
年齢:アラフォー

20代前半でForceに目覚める。
その後、SithのDark Lord〝Darth Ruin(Ⅱ)〟を襲名
というStar Warsのコアなファン

なお、メンヘルへの誹謗・中傷は許しません。