“ウツ”の責任論について Part2

Mental Disorder
01 /05 2013
本年の最初の手記です。

筆者は休職・療養になってからというもの、ずっと『“ウツ”の責任論について』を考えていました。

“ウツ”の責任論について語る場合、まず、問題となるのが自己責任の範囲です。

この類の話はいつも難しいと感じます。なぜなら、『自己責任と追及する人』と『自己責任を否定する人』で、くっきりと見えてくるのが、“ウツ”をどれだけ知っているか、理解しているかという話に帰結するからです。

そして、『無知は罪』か否か、という哲学めいた話にもつながっていきます。

ロジックの積み立てが好きな人は、長々とその議論に付き合うことは出来るでしょう。しかし、こと日本人に限って言えば、このような人はマイニリティであり、普通は感情論です。

ないものねだりをしても仕方がないことですが、それに苦しめられる人にとっては、大変な問題です。

では、もっと原点に戻ってみましょう。つまり『自己責任』とは何かということです。

定義は〝自分の行動には自分に責任が存在すること〟となっています。

これを“ウツ”に当てはめた場合、自分の行動が“ウツ”を引き起こしたのであり、“ウツ”には自分の責任が存在するということになります。残念ながら、やはりどれだけ“ウツ”を理解しているかという問題に戻ってしまいました。

もう少し視点を変えてみましょう。昨年最後のブログに掲載した「大海原を進む船」の話にある「多様性」についてです。

「多様性」と言う言葉は、よく生物、生命の進化に使われます。生命はなぜ進化するのか?という問いに「多様性」という答えが提示されるからです。


地球の歴史46億年の中で、最初に生命が誕生したのは(まだはっきりとはしていませんが)最も古い説の中に、42億年頃という話があります。そこから、生命はゆっくりと着実に進化していきました(このあたりの説にもさまざまな意見がありますが)。そして、カンブリア爆発と呼ばれる遺伝子レベルの爆発的進化が起き、その後、綿々と生命の道は途絶えることなく、現在まで続きます。

しかし、生命は少なくとも5回、絶滅・消滅の危機に襲われます。有名なものとしては約6650万年前の恐竜の大絶滅があります。また、最大の危機は約2億51000万年前に起きたイベントです。この時の大絶滅の方がはるかに深刻でした。種の9割が地球上から姿を消してしまい、まさに生命存続の道の危機だったと言えます。



いずれにせよ、それでも、生命の道は綿々と続いたわけですが、その理由は生命の「多様性」に答えがあったわけです。様々な環境に生きる生命の多様性は、大絶滅という危機において、それまでは主役となりえなかった生命が、激変した環境に適応することが出来、生命の道をつなげたということです。

もし、生命に多様性がなければ、画一的な生命だけであったなら、生命の道は途絶えていたことでしょう。しかし、多様性を持つが故、生命は道をつなげることができたのです。

このような話は、人間の社会の多様性にも全く同じことが言えます。

まあ、この後の話は、前回の「大海原を進む船」と同じ内容になりますので、省略します。

つまり、“ウツ”等の病気も多様性の一種であり、社会環境の中の様々な舞台に反映された多様性が存在するということを意味しているのではないか、という考え方ができると思えるのです。

もちろん、“ウツ”になれば、社会的な生産性は落ちます。ですが、それも環境に社会環境に対する反応であり、そこには、社会環境に対する何らかのメッセージがあるのではないかということです。

そして、そのメッセージを受け取れるかどうかという個々人の感度の差が、結局のところ自己責任論の有無を作り出すのではないかと思うのです。

生命の進化も一緒です。今まで主役をなしていた生命が徐々に衰えていく有様、そして、主役が変わっていく有様は、地球という舞台における環境の変化(時に激変)を意味するものであり、声なき声とも呼べるでしょう。

純学術的な観点からすると、地球史あるいは化石の研究には、地球という舞台における環境の変化の研究は必要不可欠なものであり、は決して切り離して研究することはできません。もし、これを考慮しなければ、ただの化石ハンターというアマチュアとしかみなされません。議論の棒にも端にもかかりません。

それと同じです。社会という舞台における環境の変化(時に激変)に対する声なき声なのではないでしょうか。そのようなメッセージを発する者に少なくとも自己責任論という話は、アマチュアレベルの話であり、いかにもナンセンスではないかということです。

統計と言う数値は冷酷です。社会環境の変化に呼応するかのようにうつ病患者は増えました。ですからそこに隠されたメッセージを受け取らなければ、社会環境が今、どのように変化しているのか、決して理解はできないと思います。

逆説的な言い方ではありますが、自己責任論は、社会環境の変化に気付きたくないという思いと“ウツ”という病気からに目をそらしたいという願望が入り混じった、一種の畏れではないかと思うのです。

かつて、ハンセン病という病に対して、そして、今は放射能というものに対して、畏れを抱き、そして直視することを避けました。同じなのではないかなと思うのです。

以上のことから筆者は『“ウツ”の自己責任論とは個々人が“ウツ”に畏れを抱くために生じるもの』と結論付けたいと思います。

ずいぶんと長くなってしまいましたが、まあ、年明け早々、ぶっ飛ばすのもここまでとしようと思います。

次回は(できれば)Star Warsの第3章、もしくは〝Darth Ruin〟襲名秘話 後編でも掲載できればと思ってます。

それでは
『May the force be with us of Bipolar Disorder!』
  (双極性障害の我々が、フォースとともにあらんことを!)

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

クロサワ

性別:男
年齢:アラフィフ

20代前半で双極性障害の発症、40代で、初めて双極性障害と判明
2年に渡る療養を経て社会復帰。転びそうになりながらも、躁鬱ライフを満喫。

ちなみにStar Warsのコアなファン

メンヘルへの誹謗・中傷は許しません。