死ぬ勇気があれば...

Mental Disorder
01 /22 2013
2013年1月22日(火)付 朝日新聞の朝刊

天声人語より抜粋

 「家族は悲しみを抱きながらも仕事をし、食事を摂(と)り、時に泣き、笑い、生きてゆかねばなりません」。57歳の夫に自死で先立たれた女性の手記である。「でも日々の何気(なにげ)ない生活の中で、突然襲ってくる悲しみがあります。皿洗いをしている時、洗濯物を取り込んでいる時……」▼遺(のこ)される者に済まないと思うなら、踏みとどまる望みもある。死ぬ覚悟を転じればいくらでも出直せるはずだ――これらは、自殺を知らないゆえの小理屈だという。未遂者によれば、何やら黒いものに追われて、それどころではないらしい▼去年の自殺者が15年ぶりに3万人を割り、2万7766人に減ったそうだ。とはいえ日に76人。61年ぶりに4500人を切った交通死の、まだ6倍を超す▼希望は東京、神奈川、大阪などの都市圏で、予防の試みが効き始めたことだ。健康や生計に悩む人と専門機関を、役所の窓口でつなぐゲートキーパーが好例だろう。社会全体で「気づき」「頼れる」環境づくりが続く▼おととい101歳で亡くなった詩人、柴田トヨさんの「くじけないで」に、次の一節がある。〈陽射(ひざ)しやそよ風は/えこひいきしない/夢は/平等に見られるのよ〉。ずっと若い人が、同じ感性を持てぬ理由はない▼人間には、自らいたわればトヨさんのように、100年を超えて輝く力が備わっている。くじけずに全うする天寿は、愛し、愛された者への小さな花束ともなろう。心まで冷える冬は、誰にも巡り来る日だまりを飛び石にして。

全くの正論です。異議を唱えるすきもありません。

筆者が気になるのは「去年の自殺者が15年ぶりに3万人を割り、2万7766人に減ったそうだ。とはいえ日に76人。61年ぶりに4500人を切った交通死の、まだ6倍を超す」

所詮は机上の数字です。自殺者一人一人の人生を思い描くことはできません。

筆者は、以前、友達を自殺で失いました。

強い喪失感とともに、なぜ彼の苦しみを気付けなかったのか、苦悩しました。

しかし、今振り返ると、親友の「自殺」という出来事には苦悩はしても、彼の死に至るまでの苦しみを理解していないかったのではないかと

今は苦悩します。時々。

自殺を統計的な数値で扱っている限り、やはり、自殺を減らすための根本的な解決はできないと思います。

「未遂者によれば、何やら黒いものに追われて、それどころではないらしい」と。

全くその通りだと思います。

では、その「黒いもの」とはなんでしょうか。

なぜ「追われて」いるのでしょうか。

そこに、自殺を減らすための何らかのヒントが隠されている、と筆者は思うのです。

そこには、未遂者の人生の中で「黒いもの」が生じ、

何らかの原因で「追われて」いるのではないかと思うのです。

つまり、自殺をなぜ企図するのか、という部分を考えるには、結局

ものすごく手間はかかりますが、

その人の人生を思いめぐらせる必要があるのではないでしょうか。

一人一人の生き様に思いをはせることなく、十把一絡げに自殺を止めようとすることは

やっぱり無理があるんじゃないかと思います。

こういう試みは大変な労力と人手、そして根気強さが必要となります。

そして、こういう気付きは身近な人

本来は家族の気付きが何よりも必要だと思います。

娘「父さん、私の部屋に入っちゃダメ! ヘアブラシ使っちゃダメ! 
  それから・・・ずっと元気でいなくちゃダメ!」
父「え?」
娘「この頃ちゃんと眠れてないでしょ最近」
娘「泣いちゃダメ」


他人が示す戒めや説得はよりも、

今失われつつある、家族と言う絆

自殺を考える人の人生に最も思いを巡らせることができるのは

家族こそが最も理解者足り得るという事なんですよね。

当然と言えば当然なのですが

そういう、本当は当たり前であったことを

改めて家族の意味を考えることを

ひょっとしたら家族の絆が希薄になっているのではないか

足元にあるそんな日常のごくある風景の中に、

自殺の予防と言う方法がある。

筆者はそう思うのです。

まあ、これも正論と言えば正論ですがね。


                                                Fin
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クロサワウヅキ

性別:男
年齢:アラフォー

20代前半でForceに目覚める。
その後、SithのDark Lord〝Darth Ruin(Ⅱ)〟を襲名
というStar Warsのコアなファン

なお、メンヘルへの誹謗・中傷は許しません。