今のいじめから浮かび上がる日本人の精神...                何かを置き忘れていませんか?

日常から
03 /28 2013
 最近取り沙汰されている「いじめ」についてですが、マスコミの論調はそろいもそろって、「いじめ」は酷い、悪い、ダメというものです。当然の論調ではあります。筆者もそう思います。ですが...

 なぜ「いじめ」は起こるのかということを深く考えてみると、そこに浮かび上がるのは2つの可能性です。

    ①.「いじめ」という行為でヒエラルキーを作ることでしか、アイデンティティ を確立できない
     人達が存在する。

    ②.「いじめ」を受ける人がある意味、一定の集団の中で〝異質〟な存在となっている。

 この2つは、①あるいは②、のみで「いじめ」が生じるケースもありますが、①と②が複雑に絡み合っている場合の方が多いでしょう。むしろ②の割合の方が多いのではないかと思います。

 ②について〝異質〟と述べていますが、これは、多くは一定の集団に適応しているマジョリティ、つまり一定の集団の枠をはみ出したマイノリティな存在という意味です。


 「横並び」とか「和」とかを貴ぶ日本人は、一定の集団の中で適応し、マジョリティな存在こそが正しいとしたがります。

 しかし、本当にそれが正しいのかどうかは、結局、時間が経たないと分かりません。むしろマイノリティな存在の方が正しいケースも多々あるでしょう。

 一定の枠をはみ出すマイノリティな存在が実は正しかった。その事実に気付くことに、日本社会は、最近、とみに見られなくなってきたように見えます。よほど〝異質〟度が飛びぬけていないかぎり...

 今の様な、一定の集団の中に、その枠をはみ出す〝異質〟な人、マイノリティが、必ず存在することを前提に、それを許容する土壌を作らない限り、悲惨な...という「いじめ」は続くと、筆者は思います。

 もともと、日本人には「横並び」とか「和」とかを貴ぶということ以前に、「寛容」という世界に誇る精神があったはずです。

 それは〝異質〟なマイノリティが存在を許容していたはずなのに、いったいどこにその「寛容」という精神を置き忘れてしまったのでしょうか...

 ただ「過ぎたるは及ばざるが如し」の言葉が示すように、マイノレィティが正しいということをあまりに「寛容」しすぎれば、「独裁」という毒を醸成しかねませんが。このバランスはなかなか難しいものです。
Fin
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クロサワウヅキ

性別:男
年齢:アラフォー

20代前半でForceに目覚める。
その後、SithのDark Lord〝Darth Ruin(Ⅱ)〟を襲名
というStar Warsのコアなファン

なお、メンヘルへの誹謗・中傷は許しません。